歴史を生きた人の生の声を聴く①

2025年は戦後80年です。

私はいわゆる“Z世代”。戦争体験者の生の声を聴くことが出来る“最後の世代”と言われています。

 

先日、静岡市葵区の真勝寺で開催された「シベリア抑留を語る~加藤源一さんをお迎えして~」という集いに参加してきました。

この集いでは、シベリア抑留体験者を父に持つ窪田由佳子さん御年100歳の当事者である加藤源一さんの対談が行われました。

そもそもシベリア抑留とは、戦後、復興の為に労働力を必要としていたソ連が約60万人の日本人を連行し強制労働をさせた歴史のことです。

 

まず、窪田由佳子さんについてご紹介します。

窪田由佳子さんの父、一郎さんはシベリア抑留体験者です。一郎さんは苦しい生活の中で、廃材を用いて心の拠り所であった“バイオリン”を自作されました。楽団も結成し、周囲の人を音楽の力で救ったのです。

一郎さんの娘である、窪田由佳子さんは現在、音楽と共に、シベリア抑留を語り継ぐ活動をされています。

今回、シベリアで一郎さん達の楽団が演奏した曲「根室の灯」を会場全員で歌ったことは特に印象深く、場所や時代を越えて繋がれたような気がしました。

 

続いて、加藤源一さんについてご紹介します。

加藤さんは1925年、静岡県掛川市生まれの御年100歳になられるシベリア抑留体験者です。

19歳の時に赤紙(招集)が届きました。“お国のため”という風潮が強く、命を捧げることに違和感はなかったと当時を振り返ります。

シベリアでの生活は過酷なものでした。

例えば、2カ月間お風呂に入れなかったり、

不定期にある配給も小さなパンと大豆が2つ3つ入ったスープだったり、

零下40度の中、トイレの為に外に出なければならなかったり、

共に闘った戦友が息絶え、遺体がまるで丸太のように積み上げられる姿を目の当たりにしたり、、、。

しかし、1947年に日本に帰国してからも苦しみは続き、“シベリア帰りは危険思想”という社会のデマ差別に心を痛めました。やっと就職できても、働き先の主人からシベリア帰りであることを口止めされていたと言います。

 

 

今回の集いでは、シベリア抑留の過酷な状況を聴くことが出来ました。

一方で、源一さんのお話は、戦争の残酷さはもちろん、苦難の中でどう生き抜いてきたのかという人生の教えが熱く語られていた印象を受けました。

次回のブログにて、源一さんの人生を生き抜く秘訣を記します。